ふとした時に想い出す人がいる・・・。
誰しもそのような経験はあるかと思います。
すれ違う女性のシャンプーの香りに昔の彼女との思い出がぱっと色鮮やかに思い出されたり。
そして僕はアジアでうんこする時にいつも友人のくまさんの事を思い出します。
「またうんこかよ」
ええ、聞こえますともその声が。でも「漕ぐ・食う・寝る」という限りなくシンプルな生活の今、うんこというのは一大イベントでもいうべき自分では大きな事。
これを書かずにして何を書くか、そんなレベルの事なのです。
時間は遡りまして2005年、パキスタンのラホールという町での話です。
当時旅先で知り合った年下の日本人「くまさん」と一緒の部屋に泊まる事になりました。それまで泊まってた宿は雑魚寝部屋であまり快適ではありませんでした、それなら2人で部屋をシェアすればいいやんって事になったのです。
見つけた宿は見晴らしも風通しもよく、とても快適なところ。宿移ってきてそうそう便意を覚えた僕はトイレへ。しかし、そのトイレにはある物がありません。それはゴミ箱。
東南アジア及びインド周辺ではうんこをした後の始末は左手と水でお尻を洗うという事になっています。しかしその当時どうしてもその習慣に馴染めず紙で拭いていた僕。アジアではトイレットペーパーは詰まる原因になるので便器に流してはいけない事になっているのです。外国人がよく訪れるトイレでしたらたいてい脇に小さなゴミ箱があります。
しかし、無い。試しに一度トイレの水を流してみると小川のせせらぎのような弱弱しい流れ。ギリギリうんこが流れる程度です。これでは紙を流せば一発で詰まるのは自明の理というもの。
どうしよう。ここでトイレ詰まらせてしまったらくまさんに迷惑をかけてしまう。。。
しかしうんこのついたお尻を水で流しながらとはいえ直接手で触れるなんて・・・・。
ゴミ箱の無い以上ここでの逡巡に意味はありません。しゃがんで出すもの出した後、そのまま左の低い位置にある蛇口をぐるっと捻ります。しゃばーっと出てくる水を置いてあった手桶に溜め、いざ尻の上へと水をちょろちょろと流す。尻の割れ目にそって冷たい水が降りてきます。
そして「いざ!」と左手で洗ってみると
「あら、なんて清々しい」
肛門から、いや目からウロコとはこの事なんでしょう。今までなんで紙を使っていたのか、そうしていた自分を責めてしまう位の気持ちよさ。
こうして僕は「うんこの時に紙」という強固な鎖から解き放たれたのです。そして、その解放者こそ「くまさん」。
今日もうんこの後お尻を洗う時に彼の事を想い出し、そしてつぶやいたのでした。
「くまさん、ありがとう。」
と。
くまさんは関東の人だが大学院卒業後大阪勤務になり、ちょいちょい遊んでくれてました。