「バスターミナルまで行く必要はないよ。すぐ近くに30RM(約900円)の宿がある」
「道順を描いてあげよう」
と言ってくれました。その値段は国産の乗用車メーカーを擁する程に発展しているこの国では十分過ぎる程安宿に類するものです。
地図を描いてもらっていると、
「日本人かね?」
と聞いてきました。
「そうです。」
と答えると
「私の祖父は日本人と結婚したんだよ・・・」
彼は僕から見るとどこをどう見ても純然たるインド系にしか見えなかったのですが、孫ともなると日本人の血は薄れるのかもしれませんし、祖父の妻が日本人というだけで血は繋がっていないのかもしれません。場所ももしかしたらここじゃないかもしれません。しかしいずれにせよ、彼の祖父の時代つまり100年程度前に日本人がこちらに来て、生活をしていたのです。
そこに強い感銘を受けざるを得ませんでした。
今ではこの町に日本の面影を見る事は出来ません。見るとすればパナソニックの看板や、トヨタ車くらい。東南アジアの優等生らしいマレーシアの落ち着いた佇まいを見せるこの町。
今でこそこうしたあまり不自由の無さそうな快適に見える南国のこの町も100年前はどうだったんだろう。
東京でさえ100年も電気もろくに普及してなかったのかもしれない時代です。この地が東京より文明的であったはずはありません。蒸し暑く熱帯病も多くとても暮らし難かったであろうと思います。
ただ気まぐれにこの町を目的地に選んで、ただ偶然その路地で途方に暮れただけだったのです。
ですが、こうして日本を感じられるのはもしかしたら彼の奥さんの時間を越えた想いだったのかな、と思ってしまったバトゥパハ滞在でした。