コンビニから身なりの良い小学生低学年くらいの子どもが連れ合い
何かを買ったのであろう、レジ袋を手に提げレシートを手にしてい
コンビニの前には半分破れたTシャツを身にまとい裸足の小さな男
彼らはその子を物乞いの子かのように、そしてそれをからかうかの
投げ渡した。
その小さな男の子は特に気にする様子もなく、無邪気にそのまま店
その位の年齢で他者に対する憐れみを感じるには難しいかもしれな
貧富の差、生まれ持った身分の差が歴然と存在するこの社会ではそ
けどそれは僕にとって、心に何か刺さるものがあった。
ちょうど、その子が甥と同じ位なのだ。甥は姉夫婦の間で幸せに暮
日本に居た時にも度々遊んだ。シーソーに乗って笑い、積み木をし
会う事に大きくなっていっていた。
しかし、その子はどうだろう。
物乞いに直面して、おそらく誰もが考えてしまう事だ。
「自分がお金を与えても根本的解決には何もつながらない」
以前は僕もそう考えていた。それを自分への言い訳と気づくまでは
そう、こんな事しても何の解決にならないかもしれない。けど、こ
その物乞いが食事にありつけたらそれでいいじゃないか。良い事し
自分が得られたらそれでいいじゃないか。
おもむろに僕は財布から全てのコインを取り出し、その子の前にし
そして笑顔で手渡す、いや、手渡そうとした。
その子はキョトンとした表情で僕を見返す。その目には卑しさなど
タタタッと店の前で果物の屋台を出している男性の足元に駆ける。
こちらに微笑みかけてきた。
そうか、そうだったのか。
物乞いなんかではなかったのだ。確かにこの小さな子にはサンダル
しれない。けど、その屋台の父は貧しいながらも必至に自分の力で
僕はその屋台で果物を買った。それは彼に対しての施しなんかじゃ
体調管理に果物は必要だ。僕が欲しいからお金を払う。そして彼も
なんだろう、それはとても当然の事だったのだが
僕にとって家族や子どもについて深く考えさせられる
セブ島のある夜だった。